バイオビジネススクール講義聴講録「アメリカのバイオビジネス事情」+小野先生との個別面談記録〜医薬品開発はゲームか?
Free!2007年2月17日に開催されたバイオビジネススクールの講義の1つ『アメリカのバイオビジネス事情』の概要、セミナーに対する清宮の感想、セミナー後の個別面談でお聞きしたことをお送りします。
小野先生のご講演の詳細な内容(以下、「詳細レポート」)は、来週の金曜日(3月16日)にBioTodayの有料会員の皆さんのみに公開します。
来週の金曜日(16日)の昼12時頃〜13時頃に「BioTodayニュースレター増刊号〜アメリカのバイオビジネス事情」というタイトルのメールをBioToday有料会員の皆さんだけにお送りします。
そのメールで詳細レポートの入手方法をお知らせします。したがって、詳細レポートが入手できるのは、来週の金曜日の12時時点で有料会員であった方のみとなります。
では、バイオビジネススクールの概要と小野先生との面談記録の始まりです。
今日お送りする中で一番読んで欲しいのは3番目の「セミナー後の個別面談でお聞きしたこと」です。小野先生は最初私に「医薬品開発はゲームである」と言いました。
その真意がこの面談記録に記されています。
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目次
・セミナー「アメリカのバイオビジネス事情」概要
・セミナーを聞いての清宮の感想
・セミナー後の個別面談でお聞きしたこと〜医薬品開発はゲームである
・感想をお寄せください
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◇バイオビジネススクール「アメリカのバイオビジネス事情」概要
日時:2007年2月17日(土) 13:00〜15:00
会場:大阪商工会議所 6階 白鳳の間
テーマ:『アメリカのバイオビジネス事情』
米国の現場から見た日本のバイオベンチャーの課題
〜今そこにある危機(Clear and Present Danger)〜
講師:ハーバード大学医学部 ベスイスラエル病院客員教授 小野光則先生
講演概要
・日米のバイオベンチャーを比較すると日本はいくつか最初からボタンの掛け違いをしている
・もともと米国ベンチャーは米国のユニークな社会・経済風土から必然的に生み出されたビジネスモデル。
・しかし、日本はそのような文化的、人的背景の違いを考えずに制度だけ変えて導入したためにひずみがあらわれてきている。
・たとえば、大学発ベンチャー1000社創出という掛け声で日本でのバイオテックの数は人口に対する数だけは米国並みになったが、IPOしたベンチャーの株価総評価額は米国の1%にすぎない
・また、大学関係者の知財に関する認識は低く、TLOも質が低い。
・これらのひずみを理解し、ぼたんを正しく掛けなおすには“ベンチャーがなぜ米国でいままでビジネスモデルとして存在してこれたか?”という問いへの回答を持っていなければならない。
・この問いの答えはセミナーで説明するが、この問いがあったからこそ、結果的にアメリカでは、アカデミア、ベンチャー、大製薬企業間でキチンとした医薬開発のwin-winな共存関係が構築された。
・日本ではベンチャーと製薬企業間にはそのような信頼関係はいまだ構築されているとはいいがたい。
・加えて、日本のバイオベンチャーは、大企業ときわめて同じ価値観をもって創薬を進めるという間違いを犯している。
・ぼたんの掛け違いを正した上で日本のバイオベンチャーが生き残る方法のひとつとしてニッチバスターモデルがある。これはセミナーで詳しく述べる。
・ところでアメリカの状況を説明すると、アメリカのバイオテックには“今そこにある危機”が迫っており、そのことにまだほとんどの人が気付いていない。その危機が何なのかはセミナーで詳しく述べる。
・また、2000年の米国バイオバブルの崩壊後あきらかに米国ベンチャービジネスの舞台からplatform oriented company は姿を消し、product oriented companyのみが生き残ってきている。
・これは米国がこのバイオバブルを通じて工程イノベーション(platform oriented)と製品イノベーション(product oriented)の不連続性を嫌というほど認識してきたからに他ならない。
・そしてこの傾向はベンチャーにproduct oriented companyへと戦略方向転換をせまってきた。
・このような戦略の方向転換が、大企業とベンチャーの次世代の戦略的技術提携 “うかい方式”へとむすびついていく。
◇セミナーを聞いての清宮の感想(有料会員向けの「詳細レポート」からの抜粋)
今回のセミナーを聞いて得に2つの事が印象に残りました。1つは、日本とアメリカでは資金調達の“質”に本質的な違いがあり、日本のバイオテックが日本で必要な額の資金を調達することは殆ど不可能となっているということです。
ではどうすれば良いか?小野先生は非常にシンプルな回答を提示されました。それは、アメリカに拠点を作って、アメリカで資金を調達するということです(小野先生は現在JETROと共同でボストン近郊に日本ベンチャーのビジネスインキュベーター機能を構築しようとしています。もしボストンに拠点を作るときには相談に乗りますとのことでした)。
もう1つ印象に残ったことは、アメリカでは“表面上は”アカデミア、バイオテック、大製薬企業の3者がWin-Winな関係を築いていますが、その背後では2つの大きな変化が起きつつあることです。
日本のバイオテックがおかれている状況は非常に厳しくても、アメリカでおきつつある構造変化や“今そこにある危機”が日本のバイオテックにとって有利に作用する可能性があると分かりました。その点で日本のバイオテックに希望を与える講義内容でした。
先生は日本のバイオベンチャー、製薬企業、ベンチャーキャピタルに対して表面的には非常に辛口ですが、実は日本のライフサイエンスを応援したいと思っていらっしゃることがこのセミナーの後で個別にお話しさせて頂いたときによく分かりました。
アメリカでの拠点作りなどで小野先生に相談したい方がおりましたら清宮までご連絡ください。私から小野先生に取次ぎをします。
◇セミナー後の個別面談でお聞きしたこと〜“医薬品開発はゲームである”
今回のセミナーに参加させていただく前に、私は小野先生と何度かメールでやりとりをしました。その中で先生は「医薬品開発はゲームである。ルールに従って淡々とおこなう」と言われていました。メールではその真意を図りかねましたが、セミナー終了後の焼き鳥屋での個人面談でその真意が良く分かりました。
個人面談時のお話の中で小野先生は「人の生命を助けるということは本来人が踏み込んではいけない領域に入るということ。このことを医薬開発者は自覚することが必要」とおっしゃいました。
つまりはじめから人類に貢献するなどという傲慢な思いで医薬品を開発していたのではいつか間違いをおこしかねない。だからあえてゲームであると“自分に言い聞かせて”淡々と医薬開発に従事してきたのですと小野先生は言いました。
なぜ先生がこんなことを言うのか?先生はひとつのエピソードを話してくれました。
先生はもともと、富士フィルムに入社し、富士が米国で医薬品開発を開始したときにFuji Immuno-Pharmaceutical(FIP)社の副社長VP chemistryとして渡米しました。1993年3月31日のことです。
FIP では5年で成果を出すことが求められていました。5年以内にIND申請を1つ成功させればさらに5年間FIPが存続されるという約束で小野先生はFIPで研究チームを率いていきました。
研究者が少ないFIPでは、小野先生はビーグル犬を用いて毒性実験なども手がけました。最初に手がけた化合物は青く、ビーグルに投与すると目や耳などが真っ青に染まったそうです。また、投与後の影響を調べるために先生は毒性コンサルタントとともにビーグル犬の解剖に何度も立ち会いました。
ひとつひとつの臓器をとりだし切り刻み、色素蓄積を見て写真にとっていくその仕事はまさに地獄絵で凄惨を極めました。
毒性をサポートしてくれたタフツ大学の助教授で毒性コンサルタントのダール博士があまりにも事務的に解剖結果だけを記録し写真にとっていくのを見て小野先生は「何も感じないのか?」と尋ねました。そのときにダールは、「とにかく感情を持たずにするべきことだけをしろ」と冷たく言ったそうです。
ある日、先生はダール博士の家に招かれました。そこで小野先生は、ダール博士が2匹のビーグルを飼っていることを知ります。
彼は小野先生に短い言葉で言いました。“I owe them very much.(私にはこいつらにたくさん借りがあるから)。
小野先生は、口には決してださないけど、ダール博士がどんな思いで毎日ビーグルの解剖を行っていたのかを知りました。
仮面の下には何と熱い血が流れていたかと。先生はダール博士と創薬を一緒にしたいとおもうようになり、彼にFIPへの入社を強く求めます。彼はOKして毒性担当の副社長として入社しました。小野先生がシンタ社社長兼COOを辞する2004年2月まで一緒に創薬を行い3つの低分子医薬候補を臨床入りさせることになるのです。
この経験を話された後で、先生は次のようにおっしゃいました。
「まだ新薬も上市できていないのに、人をひとりも救ってもいないのに、人を救うという耳触りの良い大義名分を免罪符にマウスやラット、そしてビーグル、モンキーを次々に殺めている研究者は、人に貢献するなどという傲慢な思いで医薬品を開発してはいけない。むしろ自分たちは命を奪っているのだ。
だから“人の生命を助けるという本来であれば人が踏み込んではいけない領域に入るという重さを医薬開発者は自覚”し、人の命を本当に助けることができたその日まで“人に貢献する”とか“人の命を救う”とか、そういった言葉を人前で言ってはいけない。自分の心の中に秘めておかねばならない」
そう自分にいいきかせてきたのだそうです。
赴任後の精力的な活動により、プロジェクト開始から3年あまりたった1995年3月1日に小野先生が率いるチームは、新規抗エイズ候補薬・FP-21399のIND申請を果たしました。
赴任から2年間、富士から派遣された共同研究者、和田裕美子博士(現在シンタ社 薬理担当部長)、山口直人博士(現在ベタール社R & D部長)、須藤幸夫博士(富士フイルム研究主席)らとともに会社の向かいにアパートを借りてまさに寝食を忘れて開発を続けました。
彼らの心に秘めた創薬への熱い思いがなければ、そして日本で伊藤勇研究部長(現在富士ファインケミカル常務)率いる富士フイルム側のケミストリー、バイオロジー両面からの強力なバックアップがなければ決して達成できなかったことも強調されていました。
先生が率いるグループは“10年あれば新薬を承認までもっていける。それには何としても5年以内にIND申請して富士フイルムのためにFIPを10年もたせなければならない”そう思って開発に没頭されたとのことです。
先生は当時“新規事業を成功させて富士の将来の柱にしたい”という極めて日本的な“会社が神様”という信念の下でFIPを率いていました。
その先生が現在、“自分が神様”というアメリカ的な考え方を取り入れてアメリカでいくつものライフサイエンスの会社を経営しビジネスを展開しています。そんな両極端を経験された先生だからこそアメリカと日本の違い、そして、アメリカのベンチャーが今抱えている“危機”がよく理解できるのかもしれません。
さて、そんな日本人的な発想の下でなされた努力は、上述したように僅か3年間でのIND申請達成というマイルストーンに反映されました。
小野先生がFP-21399のIND申請について当時の富士フイルムの大西社長に通知した時のFAXを見せていただきました。その中の一文が印象的でした。
「薬の性格上、社会的責任の大きさを肝に銘じ、万端の準備で臨む覚悟でございます。」
以上、セミナー後の個別面談でお聞きしたお話です。
最初は、医薬品開発をゲームと呼ぶ先生に冷酷さ感じたのですが、お話を聞き、その背景にある先生の真意を知って、その言葉の重みを理解しました。
先生は3ケ月に1度ほど来日しています。今年は、近畿化学会主催研究開発リーダー実務講座(大阪)、産総研、岩手医大、立命館大、同志社大、京都工繊大で特別講義が開催される予定です。もし機会があったら是非先生のセミナーに参加してみてください。
また、先生のセミナーは今後BioToday上でも告知していきますし、私も参加できるセミナーがあれば参加したいと思っています。私が聞いたセミナーの内容はBioToday上でみなさんにフィードバックしていきたいと思います。
小野先生のFIP社は、3年でIND申請を成し遂げたにも関わらず、10年続くことはなく最初の5年で解消されます。しかしその創薬機能は塩野義バイオリサーチ社そして現在のシンタ社へとつながっていきます。
何故FIPが最初の5年で解消されてしまったのか?それは今後機会があれば先生の許可を得てお伝えしたいと思っています。
FIP社は5年という短期間でその幕をとじましたが、ダール博士に感銘を受けて飼いはじめたビーグル犬は10歳になりました。小野先生の家で今でも元気にしているとのことです。また、ダール博士は昨年シンタ社の副社長を辞しボストン近郊で毒性試験のコンサルタントとして活動しています。いまでもよく一緒に酒を飲むそうです。
◇感想をお寄せください
このメールへの感想をお寄せください。感想は、以下のフォームかこのメールへの返信としてお送りください。
http://www.biotoday.com/view.cfm?n=18456#post-comment
該当するデータが見つかりませんでした。
BioTodayニュースレターを出した後で、PSA開発者さんを批判しているような文章になってしまったことを反省していました。今回コメントを頂き、PSA開発者さんのコメントの意図や重みがよく分かりました。
これまでそのような重要なことに気付かなかった私の浅はかさを反省しています。無礼をお許しください。
PSA開発者さんが記載されているような“醜い事例”に遭遇したことがあると小野先生もおっしゃっていました。小野先生によると、最近の例では、まだ発売はされていませんが臨床試験で良好な成績が得られたSTA-4783で同様の現象がおきつつあるようです。
http://www.biotoday.com/view.cfm?n=15002
たとえこの物質が発売されても小野先生は黙って成功を祝うだけだと思いますが、STA-4783の開発には小野先生が深く深く関与しています。
「失敗と違い成功にはたくさんの父がいる」という諺が米国にはあることを小野先生から最近教わりました。
真の成功の父が見分けられるようになりたいです。そんな謙虚な本当の成功の父をBioTodayでもとりあげていきたいです。
よろしくお願いします。
ご賛同いただきまして、誠にありがとうございます。
数年前まで、日本の大手製薬会社に在籍していまして、開発品が効果が明らかになったり、上市間近になりますと、それまでどちらかというと開発反対の立場であった人がその開発品に擦り寄ってきて、発売後は”俺がやった”と豪語する醜い事例を散見しました。
一方、製品をゼロから開発した方はどこの会社でも冷遇されている傾向が見られます。世の中に製品を出すに当たって、山あり、谷ありですので、強力に信念を持って推し進める開発者がいて、初めて医薬品として日の目を見るというのが、開発成功例のベンチマークからの結論です。しかしながら、その開発者に対して会社の待遇が悪い例が多々見られます(ノーベル賞受賞者の島津製作所の田中さんは別ですが。)。そうゆう意味からも、小野先生の謙虚さに敬服いたします。
清宮さん
”人類に貢献できたかどうかは他人や歴史が決める。”ことは当然だと考えます。”ただ、私は、人類に貢献できたかどうかということは、医薬品や診断法を開発した本人ではなくて、他人や歴史が決めることだと感じています。”のコメントに対して、私は開発した本人であるので、何か批判されたような印象を受けましたので、敢て反論させていただきます。私は、これまで販売されている4製品の開発に関わってきました。その中の1製品については、ゼロから上市まで、実験をしながら、率先して開発を進める立場で、正に開発した本人でした。その製品は教科書的書物や雑誌には掲載されており、一部の書物には開発者として私の名前を本文中に記載してくれている先生もいます。このような背景があるからこそ、今回のコメントを差し上げた次第です。何も本人の独りよがりでコメントを差し上げた訳ではありませんので、ご理解願います。
ボストンの小野です。おっしゃるとおりだと思います。私は、開発に幾度か失敗して、自分で人類に貢献したと胸をはれるような経験はまだないです。少ない経験ながら、なんて医薬開発が難しいのかが身にしみたからこそ傲慢さが恥ずかしく思うようになりました。
PSA開発者さんが人に貢献できる薬を開発できたのは素晴らしいことです。しかもそれを達成して初めてそういう見方になったということにも心から敬意を表します。
「その人の行為がそのひとの知識よりも偉大なときその知識は有益である。しかし、その人の知識がその人の行為より大になるときは、その知識は無益である」
私はあまり偉い方の言葉の引用は好きではないですが、PSA開発者さんのコメントを見て、イザヤペンダサンの本に書かれた一節を思い出しました。小野
小野先生は未だ患者さんが助かる製品を出されていませんよね。
そこで、”個人面談時のお話の中で小野先生は「人の生命を助けるということは本来人が踏み込んではいけない領域に入るということ。このことを医薬開発者は自覚することが必要」とおっしゃいました。つまりはじめから人類に貢献するなどという傲慢な思いで医薬品を開発していたのではいつか間違いをおこしかねない。だからあえてゲームであると“自分に言い聞かせて”淡々と医薬開発に従事してきたのですと小野先生は言いました。”という件が奇異に感じました。
『科学は人類に貢献しないと何の意味もない。』というのが私の信条ですが、これは結果論です。すなわち、世の中に有用な製品を出して、その結果、そのような感覚、信条が芽生えてきました。従って、何も実績がない人間が「人類に貢献する」との発現するのは傲慢のなにものでもないが、そうゆう世に役立つ製品の実績があって始めて言えるのではないでしょうか。反論みたいですが、小野先生の発言に相通ずる部分もあるかも知れません。ご参考までに。
重く、重く受け止めます。
まだ製薬業界に入って日は浅いですが、周りを見回すと
「大義名分」の方が多い気がします。
会社が利益を得る元が何であるかを個々人がもっと自覚
する必要があると。
言葉にしてしまうと軽くなってしまう信念は、知らせたい
方に知らせたいタイミングで伝えるものなのですね。
不器用と狡猾の使い分けが時に必要なように。
次回の配信を楽しみにしています。
新規エイズ薬等小野さんの開発された、薬は、許可され市場にでたのでしょうか?